後悔日誌

深夜テンションで書くブログ。航海日誌ではない。

「みんなで不幸にさせよう」という危険思想を感じてしまった

京都市内の有名私立大学に通う学生が、ゼミを「体調不良」という名目で欠席しながら鴨川の河川敷でデートした模様をTwitterに投稿したところ、ゼミの教授からTwitterリプライで公開されながら注意を受けて、話題となった。

確かに学生の行動は注意に値する。それは間違いない。

 

しかし、(そもそも教授が「見せしめ」よろしくTwitterで公開しながら注意するという手法にも、どこか問題があるように感じるが)大学ともゼミとも関係ない第三者がインターネット上で寄ってたかって袋叩きにする姿勢も、また問題ではないか。

 

そんな疑問を、あるツイートがRTでタイムラインに流れてきた刹那、感じてしまったのである。

 このツイートがタイムラインに流れてきたとき、なんとも言えない、もやもやとした疑念が胸中を支配した。就活では不利になる可能性あり」と、客観的な評価を述べているふりをしているが、実際には「みんなでこいつの就活を不利にしてやろう」という主張だろう。客観的な評価を述べるだけであれば、わざわざ本名や学歴といった個人情報、あるいは写真を無断で転載する必要性など、どこにもない。

果たして、彼は個人情報や顔写真をインターネットに拡散されながら個人攻撃を受けなければならないのだろうか。確かに嘘の理由でゼミを休むことが悪いことは言うまでもないとして、無関係の第三者に集団で袋叩きにされる必要性が、いったいどこにあろうか。

 驚くべきことに、彼を誹謗中傷するためのアカウントまで作成されている。

 

「もともと本人が投稿した個人情報と写真だ」と言えばそうだが、それはあくまで「一市民としてネット社会で誹謗中傷されない」という前提、一種の「性善説」とでも言うべきものに基づいてのものである。そして彼が自分で個人情報や写真を公開していたからと行って、それを吊るし上げて良い理由にはならない。

「ネットに個人情報や写真を掲載しなければ良い」というのはリスク管理の方法論としては正しいが、他人の人権を侵害して良い口実にはならない。

もちろん彼自身のリスク管理に不備があったことは言うまでもない。しかし、そこに漬けまれて内容を拡散されなければならない理由があろうか。

 

 脅迫的なメッセージも投稿されている。

学生時代の過ちをネットで永遠に晒し上げられなければならない必要性が、まだ若い彼にあるのだろうか。

 

繰り返すが、虚偽の理由でゼミを欠席することは悪いことだ。

だからとて、学生を社会的に抹殺しようという危険思想が認められる理由にはならない。その学生は我々と同じ「一人の人間」で、未来ある若者だ。決してネット社会でぞんざいに扱われなければならない理由もないし、人権を否定されなければならない必要もない。

 

彼には幸せに生きる権利があるのに、寄って集ってその人生を邪魔しようとする人々こそ、本来は批判されるべきなのではないか。