後悔日誌

深夜テンションで書くブログ。航海日誌ではない。

乃木坂46『僕の衝動』MV解釈 ─「集団自殺」であり「アイドルデビュー」─

最終更新から2ヶ月が経過していた。

Twitterは活発に稼働していたのでブログを更新する時間はあったはずだが、どういうわけかサボっていた。

その2ヶ月の間に欅坂46にはどんどんハマり、乃木坂46も好きになってしまった。乃木坂に関しては全メンバーを識別できるほどではない─欅坂は当然のように全メンバーを把握している─のだが、ちょうど今日、乃木坂3期生の楽曲『僕の衝動』のMVが公開された。(※追記:10/11にリリースされた)

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「歴史」や「民俗」と絡めた設定とスピリチュアルな演出は、かつての『サヨナラの意味』を彷彿とさせる。

youtu.be

ちなみに『サヨナラの意味』を知ったのは昨年末の紅白歌合戦。欅坂の『サイレントマジョリティー』とともに、「グループ名と楽曲名はどこかでなんとなく聞いたことがある」程度のものだった。

 

さて、『僕の衝動』MVについて。

日本神話や神道に沿った演出かと思いきや、終盤には変形ロボが登場して天空へと旅立ってしまう奇想天外なストーリーに、Twitterでは驚いた人も多いようだった。

そこで、このMVを私なりに紐解いていきたい。

MVには「よもつくに」という単語や鳥居や祠が登場する。「よもつくに」は漢字にするとすると「黄泉國」で、日本神話における「死者の世界」のことだ。また鳥居や祠は言うまでもなく、日本神話から派生した神道の象徴だ。

ちなみに、黄泉國というのは現世とは「黄泉比良坂」という坂で隔絶されている。つまり黄泉國は「坂の上」にあるものなのだ。

「坂乙女」や「乃木神」というワードも登場するあたり、これが民俗学を描いた映画ではなく乃木坂46のMVであることを思い出させてくれる。

 

では、冒頭から動画を見ていこう。

「見立ての儀までもう少しになりました。神宮までは2人に送っていってもらいます。終わったら、2人だけで戻ってきてください」

神職らしい女性が、巫女らしき服装の3期生3名に告げる。「送る」役の2名は、残される予定の「1名」をどこかに残してくるということだ。そしてこの「残される」役が「坂乙女」と呼ばれる与田のことだろう。

 

何度か場面が代わり、巫女らしき衣装の与田が「乃木神さまの前で踊るんだ」と自慢げに話す。すると「よもつくに(黄泉國)に行っちゃうの?」と尋ねられる。

 

先ほどの神職の発言と、この質問を合わせて考えるに、「見立ての儀」の一環で与田が踊り、死ぬことが示唆される

考えてみれば「人身御供」という、巫女や乙女が生贄として捧げられる風習は日本にも存在したとされる。それらの風習は災害を畏れたものであったり、あるいは豊作を祈ったものであったりした。

改めてMV冒頭を見返すと、3期生たちは畑を耕している。にも関わらず、MVでは一度も「晴れ」のシーンがない。カットはいずれも「雨天・曇天」か「夜間」か「屋内」の3種類しかない。太陽は古書において神─これが「乃木神」の伝承らしい─と一体化して描かれているのみだ。

つまり与田は豊作を祈るための人身御供とされることになったということだろう。古書では1人の「坂乙女」と、それを見つめる「乃木神」が描かれている。

しかし、与田が1人で「坂の上」に行くとしたら、このMVで他の乃木坂3期生が登場する意味が分からない。逆に言えば、それこそがこのMVの真骨頂ですらある。

 

その次のページを与田たちが無理やり開くと、何人もの女性たちが踊っていた。その奥では「乃木神」とやらが興奮しているばかりか、太陽もより光り輝いている。

そしてこう書かれている。

「御見立之儀 参期生之舞」

興奮している乃木神を見るに、見立ての儀(御見立之儀)では1人の坂乙女が踊るのではなく、大勢で踊ると効果が増幅するという示唆だ。

 

民家でスマートフォンを取り囲み、盛り上がっていた彼女たちは決断する。

「みんなで一緒に踊ろう」と。

「皆で(少なくとも結果的には)人身御供になって神を喜ばせ、晴れるように祈願しよう」ということだ。ただし皆で人身御供になるということは「集団自殺」とすら形容できる。とはいえ、それを深く追及する必要はないだろう。

「みんなで一緒に踊ろう」というのは、与田のみならず、3期生─参期生─が全員で「坂の上に行こう」ということでもある。

 

鳥居の前で踊る3期生たちは、MV冒頭では鳥居の奥に眠っていた乃木神を目覚めさせる。いや、動かなくなっていた変形ロボを起動させたと形容するのが正しいかもしれない(笑)。

そして彼女たちは乃木神により地上から消え(おそらく彼女たちは乃木神と一体化したのだろう)、どこか別の場所へと乃木神は飛び立っていく。

言い換えると、「彼女たちは神と一体化した存在として、現世とは隔絶された世界へ皆で羽ばたいた」のだ。

 

「坂の上に行こう」という時点で、察しの良い方々は分かるだろうが、この『僕の衝動』MVは、乃木坂3期生たちのアイドルデビューを描いたストーリーである。

考えてみれば、「アイドル」の原義は「偶像」、つまり「神仏を具現化して信仰の対象にしたもの」だ。つまり「具現化された神と一体化した存在として、坂の上にある黄泉國に行く」ことは「アイドルとして坂の上(乃木坂)に行く」ということだ。「御見立之儀 参期生之舞」というのも順当に考えれば「3期生 お見立て会」だろう。

 

なお、この世界観で「神」として崇められているのは、祠に祀られたスマートフォンや、鳥居の奥に鎮座していた変形ロボ、そして冒頭のテロップを見るに「科学技術」なのだろう。しかし、それを「偶像」として最も具体的な形にした(具現化した)のはおそらく、彼女たちがスマートフォンで見ていた「アイドル」だろう。

実際に乃木坂1期生・2期生を見ながら3期生たちは憧れていたし、アイドルを映し出すスマートフォンが神聖に扱われていた。そういう意味でも、MVの世界観的にも彼女たちは「神を具現化した」存在である、アイドルになっているのだ。

 

漠然とした内容も孕むが、以上が『僕の衝動』MVに対する私の解釈だ。

とはいえ私立大学法学部出身であり、学部で民俗学や宗教学に学んでこなかったし、大学受験でも科目「倫理」に触れてこなかった。いつか進みたいと考えている大学院も経営学修士のそれであり、私の職歴や学歴を振り返ると、この解釈を述べるに値しないようにすら感じる。

知識の不足やあやふやな考察が存在することは十分に承知しているし、その点は皆様のご理解とご了承をいただきたい。

詳しい方からの矛盾点やミスの指摘はいつでも受け付けるので、ぜひお気軽にお寄せいただければと思う。

 

しかしまあ、アイドルデビューを示唆すると同時に「死」すら意味するというのはなんとも皮肉めいたものだ(笑)。